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読書『モダンガールと植民地的近代』

『モダンガールと植民地的近代』伊藤るり、坂元ひろ子、タニ・E・バーロウ編/岩波書店

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2010年の本です。

 

昔の広告がいっぱい載っていておもしろそうだったので、この本を手にしたのですが、実際読んでみると、

 

こりゃカタくて噛みづらい……、む、難しいわい!

 

しかし表紙に浮き上がる李香蘭から「貴女には無理ョ」と言われてる気がして悔しかったのでがんばって読みました。

 

「モダンガール」にまつわる風俗や広告についての資料が豊富でそれを眺めるだけでも価値がありますが、その資料に対する洞察は深く、私にとっては何度も噛まなくちゃ飲み込めないスルメのような本です。まだ噛んでます(クチャクチャ…)

 

100年前、人類初のグローバリゼーションがもたらした多様な価値観の複合体である「モダンガール」について複数の研究者が広告、漫画、雑誌などいろいろな分野と近代女性の関わりを考察していて面白いのですが、ちょっと学術的で私がここにそれをまとめる力がありません、すっ飛ばします。

 

最終章にあった羅蕙錫(ナ・ヘソク)という人物が私には興味深く、そこは書きやすいので紹介します。

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1886年に植民地朝鮮の特権階級の家に生まれ、日本の大学で絵を学んだ後、若くして作家、画家、思想家としても名を馳せ、モダーンな理解ある有能弁護士とモダーンな結婚をし、子どもを産み、夫婦で2年のヨーロッパ生活、別枠で恋愛もしたというモダーンでセレブな人生……、

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と思いきや、このモダンガールのサンプルのような女性の最期は52才で「行旅死亡」なのです。

 

近代女性としてあるはずの権利を主張し自己実現を追い求め、既成の枠に体当たりするような行動や失敗を重ねた挙句、親族からも距離を置かれてしまい、結果、才能を発揮する場も充分に得られないまま人生が終わってしまったようなのです。

「モダンガール」が名実ともにモダンであろうとして「破綻」したというのは想像だに息苦しい事実ではありませんか。100年後の世界に生きている私でも驚くようなとんがったことをしながら新時代に生きる自分を模索していたようなのです。

 

結局、思ったんですけど、この人のストーリーを見ても、当時、モダンガールという概念に自己一致感を覚える女性がどのくらいいたのだろうかと疑問です。現代ですら広告に出てくる彼女たちのような状況は成り立ちにくい。

 

ただ、仮に当時の女性たちがメディアなどによる刷り込みでモダンガールの幻影を現実に存在するものと信じ込んでいたとしても、この羅蕙錫がその理想を念頭に世の矛盾と孤軍奮闘していたことは事実ですし、現実に戦ったから敗れたのです。かっこいいではないですか。

 

もう私が彼女を勝手にモダンガールに認定します。

 

この人についての本をもっと読みたくなったので近いうち探してみようと思います。