「正論」
すごいですね、どうなってるんだろう、死ぬまでに一回行ってみたい場所の一つです。
スリランカは1972年まで「セイロン」と呼ばれていました。
「セイロン」の響きで甦るのは、私が子育てをしていたときのある記憶です。
👇ごめんなさい!以降、スリランカ、セイロンとは全く関係ない話が続きます。🙏
一人の「ママ友※」が話し合いの場で(※この言葉嫌いなのでわざと使ってます)
「さっきから正論言ってるけど!」
とキレました。その発言で話の流れにとどめを刺すつもりのようでした。
「え?」
正論ってそういうときに使う言葉でしたっけ?
大人の都合に子どもたちが巻き込まれ味わっている無駄なストレスがあり、その状況をなんとかしたいとママ友たちで話してる場面でのことだったのですが、子育てのつながりの場でそれを言われるとは思っていなかったので、びっくりしてポカンとしてしまいました。
そんな青臭い、回りくどいディスカッションはやめようよと言いたかったようですね。忖度するのに抵抗がないどころか、その手前で道理を放棄することが賢明だという考えのようでした。
その後、忖度して彼女に話を投げかけるのを控えめにしましたが、このことがきっかけで正論とは何だろうとちょくちょく考えるようになりました。
正論って皮肉られるような言葉ですか?
「賢者は正論を言わず」というフレーズもありますが、それとこれとは使う場が違いますね。私は正論という言葉が茶化されずにまかり通ってほしいな。柔軟さや情けは正論の対極ではないと思うんですよね。
(※あの『正論』はちょっと論外。プッ)
……思い起こせば、あの方は官僚のご夫人でいらっしゃいました。