足るを知る
朝、コーヒーを淹れて飲もうとしていたら、夫が部屋に入ってくるなり、
「いい匂いだなぁ〜。」
と声を上げました。とっても幸せそうな声でした。
が、私は
そう?
(私にはいつものコーヒーなんだが)
と。
て、いうか、
別になにも感じない。
ふつう。
夫は犬みたいに鼻をクンクンさせて「豆、変えた?」とか嬉しそうに言っています。
この人は以前ひどい皮膚疾患を発症して以来、思い当たるアレルゲンを全部避けて生活しているので、今は大好きだったコーヒーも控えているんです。
普段から焦がれる気持ちもあって、淹れたてのコーヒーに出くわすと香りだけで高揚するのでしょう。
かたや私はカフェイン依存症で、朝起きたら立て続けに2杯、食事が終わるごとに1杯、外出から帰って1杯、本やネットを見ながら1杯と、考えたら最低でも一日6杯は飲んでいます。
たまに忙しくて飲まないでいると頭痛がしてくるし、カフェインが抜ける間がないから眠りも短くて浅い。自覚のあるカフェインジャンキーです。
香りだけで歓声を上げるあなたを横目に惰性で毎日コーヒーを流し込んでる私って大した「コーヒー好き」だよね、と夫の顔を見ながら思いました。
幸せな気分になるためにコーヒー飲んでるつもりの私より、飲めない人のほうが匂いだけで幸せそうにしてるってなんなんだろう。
歳をとった今、越し方を振り返ってみると、私はいつも、あとちょっと、というくらいのときが一番喜びを感じていました。満たされてしまったら面白くなくなるんです。
あんた、また忘れてたな、
身をもって得たはずのこの人生の法則。
欲しいな〜と思う気持ちがなければダメなんだよ、たっぷり、なんて要らないんだよ、
とどこからか声がします。
6杯のコーヒーより1杯のコーヒーを大事においしく味わえる、
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
と思った朝でした。