豪傑
夕暮れ時、駅前のロータリー。
駅舎入り口の壁を背にカップ焼きそばを一人黙々と食べてる仁王立ちの女子学生(多分)を目撃。
思わず「ぉぉぉお豪傑・・・!!」とマスクの中で呟きが漏れました。
そばのコンビニで買って食べてるのでしょう。
こんな。
バイト前の腹ごしらえなのかな?
「私、目的に向かって邁進中なので世間体とか言ってられません」的なきっぱりした迫力・・・。
お行儀悪いのは確かですね、私の娘だったらたしなめたいところですが、なんか、ついニヤニヤ。
「やるねぇ」って感じですかね。
これ、男の子がやってたら「あー、お腹減ったんだね、でも行儀悪いぞ〜」で、世間の許容度が違うと思うんですが、どうでしょう。
30年くらい前、私が20代の頃は若い女性が一人で外で食事する姿って、世間から侘しいイメージで見られることが多かった気がします。
自立した女になりたい私はがんばってときどき一人メシしてましたけど、ラーメン屋さんなんて最難関。カウンターで珍しそうに向けられる視線もしんどく、あんまり食べた気がしなかったというのが正直なところでした。
世間を気にしない強さを持ちたいと願いながらウジウジしてきたクチなので、彼女を見た時、今の若い女性にはこんな豪傑まで登場したんだ!と純粋な感慨を覚えてしまったのです。
TPOの観点からすると「なんでそこでカップ焼きそば!?」ということではありますが・・・。
ちなみに、
マナー違反を言うなら、乗り物の中で傍若無人にメイクをする人のほうが私はちょっと苦手です。
「バッチリ決めたい場があるんだろうけど、とりあえず目の前の人はどうでもいいんだな」って、
感じさせられるから。
バイタリティあふれる女子学生に覚えた隔世の感を噛みしめ、ふっふと笑いながら家路に着くおばさんでした。
“ I’m not Jessica Chastain ! ”
前回のブログでジェシカ・チャスティンが好きだと書いたのですが、彼女、私の知ってる映画では『女神の見えざる手』の前に『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』というエマ・ストーン主演の作品にも出演していました。
これも好きな作品でしたが、出てくるもう一人の女優さんがジェシカとかなり似てて、ちょっと役柄の理解が混乱したことを思い出しました。
こちら、
その彼女が昔のコナン・オブライエンのショーで “ I’m not Jessica Chastain ! ” (私、ジェシカじゃないわよ)というパロディソングを披露して大受けしている動画を見つけて納得!
やっぱり、みんなそう思ってたのね!
ブライスは俳優、監督で有名なロン・ハワードの娘さんです。お父さんからして自分の娘とジェシカとを取り違えたというから気のせいじゃないレベルのそっくりさん。
けど、『ヘルプ』のキャスティングもなんでまたそんな微妙な二人を揃えたのでしょうか、面白いですね。
ハンパなく似てることを、もう本人たちが面白がって騒いじゃうのがおおらかでいいなあと、ブライス・ダラス・ハワードのほうにも興味が湧きます。
ついでに、
似ていることを面白がって当人が騒いでいる例は、女優のサラ・ポールソンと歌手のアデル(減量後)です。
これも1年前くらい前なのかな、サラ自身がエレン・デジェネレスのショーでモノマネしてました。
思わず膝を叩きました、似てますよねー!
サラ アデル
ふふふ・・・。
好きな顔/ジェシカ・チャスティン
私は男の人については全然面食いではありません。多分、好きになった人が好きな顔、という感じ。
だけど、女の人の顔の好みははっきりしていて、それは無意識のうちに何かの法則があってのことなのかもしれません。
最近だとこの人、
ジェシカ・チャスティン。
『女神の見えざる手』(2016年)
大好きな映画です。かなり病的な役柄でしたが、この一作で大ファンになり今に至ります。
赤毛に白い肌ってこんなに不思議なオーラがあるのかと思いますね。骨格を想像できるほど肉の薄いお顔なのに、全然ギスギスして見えず、ときにノーブル、ときにチャーミングな魅力を放っています。
この方の出てる作品は今のところ、見て損したというのはありません。だって見てるだけでも充分ですから。
とはいえ、作品ごとに演じるキャラクターを立たせる才能もすごいですよね。
単に美人だからというんじゃなく、作品でのパフォーマンスから伝わるものと相まって結局、好きな顔になっているのかもしれません。
加齢なる一族
インスタグラムを見ていたら
「私の80年代の歌の歌詞を思い出す能力は、キッチンに何しに来たのかを思い出す能力をはるかに超えている」
というのが出てきて笑いました。
なんでキッチンに来たのか思い出せないのに80年代の歌の歌詞はスルスル出てくるの?って言ってるんですね。
これに対して、
「それ、まさしく私のことですから」
「毎日 “Wham Rap! ” (ワムの高度なラップ曲)を通して歌える私なのに、スーパーで何を買うはずだったか思い出せない」
みたいなコメントが洪水のように溢れかえっています。
皆さん同じような現象に見舞われている様子・・・。
私もつい先日、30年以上聴いていなかったレコードに合わせ、ふつうに歌っている自分にギョッとしたばかりなので人ごとではありません・・・。WWW
マリー・クヮント
4月13日にマリー・クヮントさんが亡くなったそうです。93歳。
こうやって巡る巡るよ、時代は巡るのですね。一時代終わったか、はぁ〜。
彼女の発信するものは、ファッションだけでなく、コスメの方面でも楽しませてもらいました。
スウィンギング・ロンドンのニュアンスは今、デパートで売られている小さなアイシャドウのケースにもちゃんと感じられる。
そういうところが私にはずっと特別なレーベルでした。
大学に入ったばかりの頃、スキンケアもメイクも初心者のくせして、このロンドン発のコスメをよくジャケ買いしていました。
成分が自然志向だったせいかちょっとお高かったけど、持っているだけでエスプリの効いたおしゃれがわかった気分になれたんです。(ただの気のせいだったんですけどね!)
マリー・クヮントといえばブラックデイジーのマークが思い出されますが、黒と黄色のちょっとBIBAっぽい容器のもあった。
素敵・・・。
よく使っていたのはジャーに入ったコロイド状の銀色に輝くフェイススクラブ(名前が思い出せない!)。その香りとテクスチャーは今でも鮮明に覚えています。
なつかしい・・・。
マリー・クヮントさんは私より30年以上、上の世代ですが、あの頃のロンドン発のカルチャーは私の好みのド真ん中なんです。
出会えてうれしかった!
"Rest in peace, and thank you so much,
レコード
もっぱら音楽はラジオとレコードで楽しんでいた世代です。
音楽好き同士が結婚して、持ち寄ったレコード数百枚。
転勤であちこち住み移りましたが、プレーヤーは手放してもレコードだけはとうとう今日まで守り抜きました。
レコードってめちゃくちゃ重量があるので、引越しを繰り返す中、何度放り出してしまおうと思ったかわかりません。
でも、良かった、レコード文化は不滅でした!
最近は若い世代にもプレーヤーやレコードを購入して楽しむ人がいるようですね。
最近は私も、久しぶりに手に入れたプレーヤーで古いレコードを楽しんでいます。
サンタナ。
夫の婿入り道具で私の趣味ではなかったのですが、今聴くと、しみじみと良いなあと思います。
ハンカチ
現在のように外出先のどこへ行ってもペーパータオルやドライヤーがあるわけではなかった頃、ハンカチは身だしなみの重要アイテムだったので、洗って一枚一枚ピシッとアイロンをかけるのは週末恒例の作業でした。
今、現役で働いている人たちはどうなのでしょう、うちの子はハンカチ、一枚も持っていないような気がします。すぐにティッシュを使っているのではないかな。
私自身もハンカチを持って外出することはほぼなくなりました、使う機会がないんです。
(コロナで街のトイレのハンドドライヤーが使えない頃は久々に使ってましたが)
ハンカチ、一番多い時だと5、60枚持ってたかもしれません。勤めに出ることがなくなってから古いものは処分してある程度まで減らしたんですが、半分くらいは出番のないまま引き出しの中で熟成させておりました。
でも、ある日、使わないことこそがもったいないという気になり、すべて普段使いすることに決めたんです。
それからは食事の時、口もとを拭くとか、涙を拭くとか(笑)、ほんとうにそんなちょっとした時のために家でハンカチを身につけているんです。
本当に文字どおり身につけていて、ポケットではなく袖口に差し込んでおくことが多いです。薄さがまたいいんですね。
最初の頃は、洗ったあと一枚ずつ畳んで収納してたんですけど、ヘビロテし始めてからは畳む意味も感じられず、
今や、洗濯したものをピンチでまとめて干して、乾いたらそのままポールハンガーにぶら下げ、木からハンカチを摘みとるみたいにして使ってます。
私の歴史あるハンカチもどんどん使い倒し成仏してもらったので、残りはあと10数枚ほど。これらをちゃんと見送ったら久々に何枚か新調しようかと思います。
もうね、古いのは見飽きちゃったんでパッと気分が上がる素敵なデザインのが欲しいです。
どんなの買おうかな、それも楽しみです。
ちょっと使っただけでもためらわず洗濯機で他のものと一緒に洗うだけですから、諸方面にやさしい「家ハンカチ」です。
ところで最近、ティッシュペーパーが小さくなってません?
私がいつも買うやつは縮んでます。
ティッシュがないと困るけど、私はハンカチで結構こと足りちゃってます。